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盛田先生関連記事
2001年3月 ホーム社漫画文庫
「ムサシ」(小池一夫・川崎のぼる) 第4巻巻末エッセイ
「ムサシ」を読んで、まず、僕のイメージしている”宮本武藏”とはかなり違うぞ、と思いました。
川崎先生の絵柄から受ける印象かもしれませんが、主人公のムサシってすごい真面目ですよね。
武藏というと、暴れん坊で、剣の道をひたすら追究した武芸者というイメージがあったんですが、
このムサシは、まだそれほど剣は強くないし強くはなりたいという気持はあっても、まだ剣の道には
のめり込んでないわけです。ただし逆に考えると、優しい性格で、より人間的なキャラクターといえるわけで、
こういう人物造形もあるんだなと感じました。
僕は時代劇が好きで、自分でも時代物を描いてますが、小池先生の知識の豊富さには感服しまくりです。
資料を調べて、この役職は使えそうだなとか思っても、もう既に小池先生が自分の作品に取り入れていたりして、
どうしたらそんなに詳しくなれるのか、驚異の勉強量ですね。時代劇を読んでも見ても、出てくることがらは、
みんな小池先生原作の漫画を読んで知っていたことがほとんどで、小池作品は時代劇を描く人にとって、
教科書的役割りを果たしていると、言えるのではないでしょうか。
また小池先生独自の言葉の使い方が好きなんです。賀詞を牙志としたり、作品タイトルで御庭番を”鬼輪番”と
表現したものがあったりして、言葉の選び方が独自で、素晴らしく感じてます。
それに時代劇の造語も数多く作っていらして、裏柳生なんて言葉は史実には出てこないらしいですが、
今では時代小説や映画に平気で出てきます。僕のまんがに”鬼籍刺客人”というフレーズを出したのは
小池時代劇から影響を受けています。もちろん、描いている時に、いかに設定やアイデアが重ならないように
するか気をつけていますが…
小池作品は”キャラが立っている”ということは皆さん書かれていますが、『ムサシ』でも、それは十二分に
発揮されています。土子泥之介の泥ンコ流という剣法が出てきますが、普通思いついても、作品にするには
躊躇しますよ。でも読み進むうちにグイグイと引き込まれてしまいました。
武者修行者同士の真剣勝負のやり方から、立会人の作法まで、時代劇の”うんちく”もしっかりと描かれていて、
小池時代劇の真骨頂ではないでしょうか。ドラマに使えるものは、例え石ころ一つでも使うというドラマ作りを
見習いたいと思います。というか、その才能を少しでも分けていただきたいくらいです。
次巻では、土子泥之介とコジローの果たし合いが描かれます。合理的かつドラマチックな展開にシビレました。
楽しみにしてほしいですね。
川崎作品では、『いなかっぺ大将』『荒野の少年イサム』『てんとう虫の歌』が心に残っています。
アニメの大ちゃんは徹底的にギャグなんですが、漫画の方はけっこうかっこいいんです。
雪が降るたびに思い出すのが、大ちゃんが下駄を履いて雪道を歩いていくと下駄の歯に雪がくっついて
ドンドン高くなっていってしまうというシーン。『イサム』では、やっぱりガンアクションがかっこよかったですね。
それともう一つ、川崎まんがで印象的なのは、『てんとう虫の歌』もそうですが、抱き合うシーンが多いこと。
泥之介が幼い弟妹たちを抱き抱えてるシーンを見ると、「ああ川崎先生の作品だなあ」と思います。
抱いた時の手が大きくて、男の手だなぁと感心するんですよ。自分の手が小さいんで、
よけいにかっこよく見えますし、あこがれますね。
時代劇の魅力っていろいろあると思います。明日どうなるかわからないという緊張感が作品に漂っているし、
やっぱり殺陣の面白さって、あるじゃないですか。今の若い俳優さんは体格がいいので、着物姿が似合わないし
殺陣も巧くないですよね。これからは時代劇の凄さってまんがの中でしか表現できないんじゃないかという気もします。
だから僕は、いかに時代劇の魅力を充分に生かす創作ができるか、を頭において漫画『電光石火』を描いています。
小池先生には、また『子連れ狼』のような重厚な時代劇の原作を描いていただきたいですね。
『子連れ狼』のような、それまでの謎が最後に主人公に収斂されて、伏線がすべて明らかになるという描き方は、
いつか自分もやってみたいと思っています。
そして、小池先生の原作で時代物を描きたいという夢も、実はちょっと持っているのです。