雑誌やスピリッツ誌上等で発表された、盛田先生のインタビュー記事や発言されたことを集めてみました。
『月刊剣道日本』インタビュー | 1997年11月号 | |
小学館発行小冊子『ナマズの巣』 | 1998年1月 | |
『ブルーダー』連載開始に寄せて | 1999年週刊ビックコミックスピリッツ4・5合併号 | |
スピリッツ賞応募者へのメッセージ | 1999年週刊ビックコミックスピリッツ | |
『九州漫画家図鑑』インタビュー | 2000年1月 | |
漫画文庫『ムサシ』寄稿エッセイ | 2001年3月 | |
スピリッツメールニュースより | 2001年4月8日配信分 スピリッツ編集部 |
1999年「週刊ビックコミックスピリッツ」 4・5合併号
「スピイド(スピリッツ井戸端フォーラム vol.3」
初めての原作付きと言うことで、正直少々戸惑っています。
この作品での自分の位置は、周防さんという空母に乗せられた戦闘機のようなもので、
周防さんの伝えたいテーマやメッセージを的確に、かつ自分の経験(たいしてないかもしれませんが)を
活かして、任務を遂行していくことだと思っています。
作画については、前作にあったような剣道の防具がないぶん、楽といえば楽ですが、
エロやオヤジを描くのが少し抵抗がありますが、精一杯がんばります!
このページのTOPへ
1999年「週刊ビックコミックスピリッツ」
スピリッツ賞応募告知ページ
当時、学校を卒業したばかりで職もなく、プロでやれるのかという不安があった時、賞をもらい、
続けていれば必ず報われると自身がわきました。これから漫画家を目指す人も、あきらめず
描き続けていれば、必ず誰かに認めてもらえると思います。
このページのTOPへ
2000年1月 西日本新聞社都市圏情報部・編
「九州漫画家図鑑」 148・149ページ
音楽も漫画も娯楽が禁止された寮生活でした。誰かが寮を抜け出したら、
連帯責任でみんながビンタを食らったりして。
そんながんじがらめの世界だからこそ、自由を求める切実なあがきが生きてくる。
すべてうまくいき、喜べることって少ないでしょう。世の中そんなに甘いもんじゃないから、
ハッピーエンドにはしたくないんです。
やっぱり漫画ですからね。セリフの活字ではなく、絵で読ませたい。
イメージした表情が出るまでは、何回も描き直します。
この次は時代劇をやりたい。ちゃんばらアクションのヒーローものをね。
もう構想は練り上げていますよ。
このページのTOPへ
2001年4月8日配信
スピリッツ編集部によるメールニュース(NO.123)より
(1)「いや、漫画家として今が正念場だし。」
(2)「僕は、強い女性に弱いんです。」
<解説>
編集部によって配信されるメールニュースには「今週の見所」の他に、
編集者が1週間の出来事を紹介するという日記のようなものをローテーション形式で
1人ずつ順番に書いています。(現在は「私の買い物日記」になってますが)
この週は盛田先生の担当、新川早織さんの回でした。
上記の発言は火曜日に盛田先生宅の近所の「ロイヤルホスト」で打ち合わせをしたときの会話。
(1)は目次の巻末Q&Aで「人生最大のピンチは、今」という答えについて
「それは、(担当が)私のせい?」と聞いたときに返ってきた答え。
そしてそのあとに(2)の発言がくる。
このページのTOPへ